弁護士松山健(嘱託)(2011年5月センターニュース278号情報センター日誌より)
行政刷新会議
平成23年4月8日、内閣府行政刷新会議「規制・制度改革に関する分科会」の3つのWG(医療分野:ライフイノベーションWG。以下「WG」)が検討を行ってきた国の規制・制度の見直し対象のうち、次の医療事故無過失補償制度の導入を含む135項目についての「規制・制度改革に係る方針」が閣議決定されました。
【ライフイノベーション3】
[改革事項]医療行為の無過失補償制度の導入
[規制・制度改革の概要](1)誰にでも起こりうる医療行為による有害事象に対する補償を医療の受益者である社会全体が薄く広く負担をするため、保険診療全般を対象とする無過失補償制度の課題等を整理し、検討を開始する。
<平成23年度検討開始>
②また、同制度により補償を受けた際の免責制度の課題等を整理し、検討を開始する。
<平成23年度検討開始>
[所管省庁]厚生労働省、法務省
WGの照会に対する厚労省の回答が、制度導入にあたっての論点を的確に指摘しており、参考になりますので、ご紹介します。
厚労省の見解
[無過失補償制度について]
(1)平成21年から無過失補償制度である産科医療補償制度が開始されており、補償対象を含めた制度の在り方につき、制度開始5年後を目処に見直すこととしている。まずは産科医療補償制度の運用状況と課題を十分に把握・分析することが必要である。
(2)医療全般の無過失補償制度については、補償対象・補償水準、それを賄う巨額の財源をどうするのか、審査・認定を行う機関はどうするのか、国民的合意をいかに形成するのか等の課題がある。
(3)患者からの無制限な補償請求が生じたり、医療提供者においても、医療行為による有害事象が補償されることで注意が散漫になり、かえって事故の発生確率が高まる場合がある等、医療現場に大きな混乱が生じる恐れがある。
[免責制度について]
(1)免責が、刑事、民事、行政上いずれの免責であるのか判然としないが、本来いずれの責任にも問われない無過失の場合の無過失補償制度と、いずれかの責任が問われる有過失の場合に議論となる免責制度は、別々に論ずべきものである。
(2)(刑事免責とする場合)様々な様態・分野のものがあり得る業務上過失致死傷罪の中で、医療事故のみ適用対象から除外することにつき、現段階で国民全般の理解を得ることは困難ではないか。
無過失補償と免責の組み合わせ
本制度案の最大の問題点は、単なる無過失補償ではなく、免責との組合せが考えられている点です。WGが想定する免責制度は、公表資料を見る限り、民事上のもので、被害者が訴訟と補償制度の選択権を持ち、補償を受けた場合に損害賠償請求の訴権を制限する方式のようです。これは、同じ無過失補償制度である労災補償(含保険)制度や産科医療補償制度には、(損害賠償との調整は予定されてはいても、)訴権制限はなく、補償額を超える損害賠償を認める並存方式が採られていることと大きく異なる点です。
WGは、完全に訴権制限して無過失補償制度に一本化するのではない選択方式なので、「国民にとっては選択肢が増える」との考えを示します。しかし、被害に直面して窮迫状態にある多くの被害者が、あえて時間と労力と費用をかけて、結果の保証のない提訴リスクを取るよりも、目の前の補償金を選択してしまうであろうことからすれば、選択権はあっても実質的には訴権を奪われるに等しいといえます。選択方式は裁判を受ける権利に関する憲法問題回避のための逃げ道にすぎないというべきでしょう。
真の被害回復につながるか?
無過失補償制度では、事故原因や過失の有無を問わず等しく補償されるため、もともと反省や謝罪機会の喪失の契機を内包しているところ、これに免責がセットになれば、さらにそのリスクは高まります。それだけに、補償の適否の判断を越えて、事故原因を究明して、再発防止策を策定し、広く医療現場に還元する仕組みがなければ、場当たり的な金銭的補償だけに終わりかねません(その補償も、大量の案件処理の必要上、個人的事情を捨象した支給基準の定額化は避け難いところです)。結局、真相究明、再発防止、金銭的補償等のいずれの面でも中途半端な結論に終わりかねないばかりか、厚労省の指摘するように、かえって事故の発生率が高まる危険まで付いてくるということになってきます。やはり、無過失補償制度は、労災補償や(無過失補償制度とは別ですが)自賠責保険のように、被害回復の最低ラインとして、損害賠償制度と併存して、相互補完的に機能するのが適当ではないかと思われます。
まとめ
閣議決定された方針はもちろん、中間とりまとめ等に示されたWGの基本的考え方からも、補償と事故調査とを関連付ける発想が欠落し、原因分析→再発防止という従来の医療安全に関する取り組みとの異質性が見てとれます。特に、免責制度と抱合せとするあたり、萎縮医療解消の方に力点があることが窺われます。産科医療補償制度の検証もこれからという段階で、国民的議論不在のまま導入されるには、あまりに大きな問題であり、本年度内にスタートする検討会の動きに注目していく必要があります。